弊社がある日本橋茅場町と言われてもわからない方でも
日本橋兜町や人形町、小伝馬町、八丁堀と言われたらピンとくる方も多いのではないでしょうか。
これらはすべて茅場町周辺にあるんですよ!
(しかも散歩圏内!!)
というわけで茅場町周辺についてのコラムを何回かにわけて連載していこうと思います。
第1回目の今回は一番近い兜町からいきましょう。
兜町といえば最近ニュースで耳にすることもおおいのではないでしょうか?
そうです、証券街です!
残念なことにリーマンショック以降、本社機能の移転など暗いニュースばかりですが・・・・・
もともと日本橋兜町は、1871年に渋沢栄一や三井養之助らを中心に第一国立銀行本店(現・みずほ銀行の前身)、1878年に東京株式取引所(現・東京証券取引所)が誕生し、その後数多くの証券会社や銀行が建てられたことから日本における証券市場の代名詞として知れ渡るようになり、
ニューヨークの「ウォール街」、ロンドンの「シティ」とならんで、世界三大証券市場を形成していることでも有名ですね。
明治に入り明治維新の恩賞として、三井家等が土地を受け取り、「兜町」と名づけられましたのですが
その兜町の名前の由来がなんと!!!
平将門
までさかのぼるのです!平将門といえば平安時代中期の関東の豪族であり、平将門の乱を起こした張本人としてみなさん一度は必ず目にしたことがある名前でしょう。(大河ドラマの平清盛とは別人ですよ!)
関東一帯を手中におさめた平将門は「新皇」を自称し、幕府に討ち取られましたが・・・・・
いくつか存在する伝説の一つに
京都でさらし首になっていた将門の首が雷に直撃された拍子に故郷の関東まで飛んできたそうです。その途中で数か所に落ち、平将門の首塚としてまつられて、一番有名なのが東京都千代田区大手町(茅場町から徒歩25分程度)にあるもの
(東京都指定文化財(都旧跡)にも指定されているんですよ!)なのですが、
昔から何度も移転計画が持ち上がってはその計画のトップが不慮の事故に巻き込まれるというものがあります!
怖いですね。なので今でもまだ大手町のビル街の中に残ってますよ。
(写真をのせるのもちょっと恐ろしいので今回は遠慮しますね・・・)
その平将門の兜を埋めて塚にしたところが兜山と呼ばれていたことに由来しているそうです。
沼地だった兜町周辺は江戸時代に江戸城築城のために埋め立てられ大名屋敷が立ち並ぶようになり
明治時代からは証券・金融街として名をとどろかせてきました。
最近金融関係のニュースは暗いものばかりで
こころなしかお昼時に兜町方面からくる日本経済を支えているであろう方々の
顔も厳しいものが多いような気がしますが・・・・・
みなさん!ジャンプするとき足をまっすぐにしたまま飛ぶよりも膝を屈伸させて飛んだ方が高く飛べますよね?
ジャンプするタイミングになったときに他よりも高く舞い上がれるように今は自分をレベルアップさせる準備をしましょう!
エネルギーをため込みましょう。
弊社はセミナーという形で頑張るみなさんを応援します。
今回は証券・金融街の兜町にちなんで
6月29日(金)14:00~開催される
【~新たに金融商品取引業の登録を受けた業者(第一種金融商品取引業者を除く)のための~
検査対応及び法定帳簿作成の実務 】
というセミナーを紹介します。
詳細はリンクをご覧ください。
そのほかにも金融財務研究会・経営調査研究会では様々分野にわたるセミナーを多数企画しております。
次回の日本橋紹介では堀部安兵衛が仇討ちのために八丁堀から高田馬場まで走って助太刀に駆け付けたといういわれている「八丁堀」を紹介します。お楽しみに!
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