みなさん、今日は日本橋周辺紹介の第二回目です。
さっそくですが「八丁堀」をご存じですか??
前回のコラムの終わりにちらっと書きましたが、八丁堀は伯父の決闘の助太刀をしようと赤穂義士として有名な堀部安兵衛が高田馬場まで走ったという言い伝えの起点の場所なんです・・・
気になってgoogle mapで調べたらなんと八丁堀から高田馬場って直線距離にして約9kmもあるんですね!
堀部安兵衛はその距離を激走してさらに闘ったというから驚きですよね。
(残念ながら助けにいった伯父は斬られどころが悪く死んでしまいましたが、
安兵衛はこの闘いの雄姿でその名を轟かせたそうですよ。)
さらに!八丁堀を出発するとき安兵衛は裏の9尺もある塀、つまり約3mの塀を飛び越えたらしいのです。
ちなみに今年はロンドンオリンピックの開催年であり、陸上競技に走り高跳びという種目があるのは
みなさんご存じかと思いますがその世界記録が2m45、日本記録が2m33ということなので
もし彼がこの時代に生きていたら日本の金メダルは確実でしたね!
(彼は刀をさして、しかも下駄で飛び越えたはずなので、走り高跳びの競技の格好でやったら相当な記録が期待できますよね。)
さて、話を八丁堀の紹介に戻しますが
近くが京橋や銀座、築地なのでそれに比べるとどうしても知名度は下がってしまうと思うのですが・・・
八丁堀もちゃんと歴史のある立派な場所なんですよ!
その名前の由来は江戸時代初期までさかのぼるのです。
京橋川から隅田川に通じる堀が商船のために開かれ、その長さが八丁あったので八丁堀と名づけられたと言われています。
そして当時は現在の茅場町や前回紹介した兜町も八丁堀に含まれていたそうですよ。
また江戸時代に警察的職務を担当していた与力や同心の住居があったことでも有名ですね。
同心・与力が八丁堀の旦那と呼ばれているのはここに屋敷が与えられ、町奉行で治安を守っていたからですよ。
さらに、歴史的な話ですと・・・
伊能忠敬はみなさんご存じですよね?
(あの有名な近代的日本地図作成の基礎を築いた人ですよ!!)
伊能忠敬は晩年江戸深川にあった地図作成のための隠居を八丁堀亀島町に移して
そこを地図御用所とし、「大日本沿海輿地全図」の最後に取りかかっていたのです!
(・・・・・明治以降の制定で現在は茅場町となっていますが・・・)
さて、今日は日本の歴史関連で国内的なコラムになったので
最後に世界に目を向けた国際的なセミナーを紹介して終わりたいと思います。
7月2日(月)13:30~ 弊社(茅場町です!)で
タイ進出企業の抱える法的問題 ~会社設立時から、運営、解散まで~
というセミナーが開催されます。詳細や下記のリンクをご覧ください。
http://www.kinyu.co.jp/cgi-bin/seminar/241243om.html
何かありましたらお気軽にお問い合わせください。
次回は人形町の紹介をしたいと思います。
お楽しみに!
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